セレーノからの参加は4名。BR−1に山根が、BR−2に江本、堀内、山本が参戦した。
第一日目 4月20日 参加数73名
BR−2 3.2km×25 80km
今日のセレーノチームのエースは山本。オールフラットなコースなのでゴールスプリントに持っていけば山本がいけるという判断で、最後まで彼の足を使わせないで僕(堀内)と江本がアシストをする予定でいた。コースは飛行場跡地、3.2kmを25周するもので登りは全くなく、注意するポイントといえばコーナーの立ち上がりと風だけだった。
スタートするといきなり向かい風だし、距離もかなりあるので、集団はとてもゆっくり走り出した。その遅さのせいだろうか、いきなりキナンの日置が飛び出した。彼には去年の群馬カップで負けているので絶対負けたくなかったし、力があることは知っていたのでマークしていた選手の一人である。
しばらく彼を泳がせておいたが、なかなかしぶとく、一向に追いつく気配がなかった。その差は30秒くらいまで広がっていった。といって前半から焦る必要もなかったのでとりあえず落車だけしないように気をつけていたのだけれど、江本が「そろそろ行く(アタックする)」、とか言い始めたので、「もう??」、と思いながらも彼のそばにいて様子をうかがっていた。すると始まったね。もの凄いアタックの嵐が。江本がこれでもかという具合にアタックを仕掛け、たぶんこれで半分以上の人が切れたんじゃないかなぁ。リザルトを見るとフラットなのに25人くらいしか完走してないんだもの。とにかく僕は懸命に江本の後についていたけど、今から考えれば別にほかのチームの人に江本を追わせても良かったんだよねぇ。反省。
そんなアタック合戦が2,3週続いて、また、いつもの向かい風のストレートで激しいアタックがおこなわれて、スピードが落ち着いたときに僕がアタックして集団から離れることに成功。江本もついてきている。ここで江本と先頭交代しながら逃げ態勢を作り始めたときにニッポの2人が追い風を利用してもの凄い勢いで追いついてきた。これで逃げが決まると思ったね。後はちょっと僕が引きすぎてしまって、向かい風になったときにちぎれて大集団に吸収され、集団の押さえに回ることになってしまったのがちょっと悔しかったね。
さて、中盤にさしかかっても先頭で逃げるのは相変わらずキナンの日置。間隔を置いて先ほど先頭を追い始めた江本とニッポの2人。そして大集団という具合である。もはや僕の頭にあるのは、江本の集団が日置に追いついてスプリントで江本が勝つというシナリオ。そのために後続集団は押さえるということ。万が一後続集団が先頭に追いついたときには山本がスプリントで勝てるように足をためておいてもらうこと。だからかなり前の方でいつも集団の動きを見ていなくてはならなかった。前の3名から切れたときにはかなりつらかったけど後続集団のペースはかなり遅かったのですぐに回復して前で動いていてもほとんど問題なかった。どうせ1人や2人で前を追ったって追いつきそうなメンバーはいなかったから全部のアタックに反応しなくてもすんだし、そういう意味では楽だったね。
そんなとき、山本がアタック。1人で前を追い始めた。するともう1人かなりの勢いで追っていくやつがいるので、「まずい!」、と思ったぼくは、その人の後ろについていった。すると集団との差が広がったので、僕が先頭に立って山本と合流して3人でいけるかもしれないと思った。結局うまくいかなかったのだけれどもなかなかおもしろい動きだったと思う。後はとことん逃げをつぶしたよ。1人逃げとかはほっておいてね。どうせ疲れて集団に戻ってくるんだし。山本のアタックの前だったか後だったかは覚えてないけど、江本のグループは日置を捕まえて4人での逃げに変わっていた。途中、江本がOKのサインを出していたのでかなり余裕があるのだと思った。これで僕は安心して集団コントロールに徹することが出きると思った。
最後の2周くらいになると集団の動きも激しくなったけど、みんなつらそうだったのでほっておいた。山本に集団の頭を取ってもらおうと思っていたけど、彼もつらそうなので、ラスト1周の1kmくらい手前で僕自らアタックして、ちょろっと逃げていた2,3人を交わして6位。その前で逃げていた高橋秀樹さん(フィッツ)を追い越せなかったのはちょっと悔しいけど、江本はその前のゴールスプリントで2位に入ったので、まあいいでしょう。山本は集団ゴールで13位でした。僕はレース後もまだまだ余裕があったので明日はいい動きが出きるのではないかと思った。
第二日目 4月21日 参加数76名
BR−2 47.2km
今日のコースは山岳コース。登りと下りだけで平地はほとんどない。登りの標高差が400mくらいある峠もあって、とてもセレーノ向きなコースだった。ただ、前日の夜から雨がかなり降っていて、下りはすべってこけないように注意しないといけないコースでもあった。昨日の疲れもあって山本はだるいといっていたけど江本は調子悪くなさそうだった。彼は昨日2位に入ったので、今日は僕がエースで優勝をねらう。レースがとても楽しみになった。
レーススタートはあいにくの雨。最初の登りはかなりのスピードで集団みんなが元気に踏んでいた。雨の水対策とトンネル内の暗さ対策でイエローグラスのアイウェアをしていったけど、水しぶきとトンネル内の暗さがひどすぎてほとんど前が見えなくて怖かったので、途中でグラスははずした。本当に川の中を走っているような感じの水たまりもあったよ。
2個目の登りでどこかのチームがアタック。が、しかし、江本と山本がそういったアタックをことごとくつぶしてくれた。この段階では全体のペースは速かったけど、集団には余裕があるように見えた。
今日の最難所、桃太郎峠が始まったときにはまだ集団は大きかった。江本がもの凄い勢いで先頭を引いているのが見える。山本も元気についていっている。後で聞いたんだけど、彼らの動きはすべて僕のアシストとしてやってくれていたようで、感謝感激。が、しかし、こんなペースで自分が頂上まで持つのかが心配になってきていた。、案の定、峠の登りの後盤には自分の後ろには誰もいなくなったし、前の10人くらいの先頭もみえなくなってしまった。まずいと思ったねぇ。これでもう追いつくことはないと思ったよ。ただ、途中で切れてきた連中を拾っていくしかないと思って、頂上を過ぎた後はマイペースで追うしかなかった。
下りにはいると2分先にスタートしたBR−1の選手で集団からこぼれてきた選手がぽろぽろと見えてきて、僕はそういった選手達をパスしていった。何とも下りの下手な連中だった。遅くてね。逆に抜くときが怖かったよ。下りきると、後ろからBR−2の選手も何人が追いついてきたし、前には赤いジャージが見えてくる。まさかとは思ったが、江本だった。江本に追いつけば一緒にいけるはずなのでがんばっちゃったよ。すると更に先に山本の姿が見える。どうやら江本も見えてきた山本を追っていたようだ。だいたい江本が山本に追いついた頃に僕も彼らに追いついた。BR−1の選手もいて10人くらいの集団になっていた。ただ、BR−1の選手とBR−2の選手では、今回はどういう訳かBR−2の選手の方が強かったみたいで登りでBR−1の選手達は切れていった。コミッショナーからも一緒に走らないように命じられたみたいだしね。
さて、6名の先頭集団とセレーノ3名がいる7名ほどの後続集団ができあがった。もう桃太郎峠のような強烈な登りはない。僕にとっては楽なコースとなってきた。僕らの集団で先頭を引かない人もいたので、前に追いつくためにはきれいにローテーション組んで順序よく先頭交代するしかなかったのでそういう人にカツを入れどんどん先頭交代していった。KOM(King
of Mountain:登りの頂上)2を越えたあたりで先頭集団がちらちら見えるようになり、結局先頭の6名に追いつくことに成功。ところが、そこでBR−1の大集団にも追いついてしまい、大混乱が発生。BR−1は左に、BR−2は右から抜かなくちゃいけなくて、コミッショナーも一生懸命拡声器を使って騒いでいるんだけど韓国チームの人はわかるはずも無く・・・・・。せっかく追いついたのにこの集団から抜け出すのに手間取ってしまってまた足を使う羽目になった。海外チームがきているんだから英語で言え!!という気持ちでいっぱいでした。
で、その集団から抜け出すとなぜか100mくらいでゴール・・・・・。なんでぇ???という気持ちでいっぱいでした。つまり、BR−1とBR−2のゴールは違っていて、それを知らなかったものだからいつの間にかゴールしてしまったという感じです。だからゴールスプリントにも参加してません。はっきり言って異常に悔しかったです。僕は江本の後ろにいたんだけどゴールでは前を譲ってもらって7位でフィニッシュ。江本は8位、山本は12位でした。
この悔しさを明日にぶつけてやると誓いました。
第三日目 4月22日 参加数77名
BR−2 9.65km×6 57.9km
朝から山本はだるそうだったが、江本は元気。僕も調子は悪くなさそうだった。第1日目、2日目、共にニッポが自ら仕掛けることなく優勝しているので僕らセレーノは完全にニッポマークで行くことにした。それでも僕は落車に巻き込まれるのがいやなので前半から前は引かないが前の方にいるようにした。
コースは1周10km弱を6周するもので、急な登りもあれば平地もあるもので、これまたセレーノ向きのコースだった。昨日さんざん降った雨もやんで快晴。路面もほとんど乾いていた。
1周目の坂を上ったときに僕は自分の調子がまずまずなことがわかった。ほかの連中が、逆に妙に遅く感じられたしね。2周目、3周目と問題なくこなす。ニッポにばっちりくっついてね。そのころには、キナンの連中はずいぶん重そうに坂を上っていたので、もはや全然気にならなくなっていた。
3週目の後半から4週目の登りまで集団の動きが激しくなってきた。ニッポがアタック。つぶされた。登りの手前で山本と江本がアタック。登り終わってしばらくしたらまた山本がアタック。これで江本がすぐに集団を押さえて山本の逃げ態勢を作る。僕もすぐ先頭に上がって援護。しかしながら、山本のアタックにはのびが無く。下りに入る前にあえなく集団に吸収されてしまった。
5週目の登りでまたもや山本がアタック。このアタックで集団は棒状になり、先頭はニッポ2人に江本、他ちょろっといるだけ、僕はここで決まりそうな気がしたので、後ろから一気に先頭まで駆け上がった。そして、後ろを見ると集団はつらそう。ニッポが「逃げるぞ!!」とかけ声を出したので一気に先頭のスピードは上がった。メンバーはニッポ2人に赤坂(ラバネロ)、江本と僕の5名。急な登りが終わった後にだらだらした登りとちょっとしたアップダウンがあるんだけどそこはつらかったよ。全く先頭交代に加われなかったしね。
6週目に入って、どうやら後続との差は広がっていっているようで、「少しペース落としてくれよ」、と思ったけど、その気配もなく、この時点で僕は勝てないのがわかった。後はいかに江本にいい状態でゴール前に行ってもらうかなんだけど、僕にはちょっと余裕がなさ過ぎたなぁ。ただ、他の連中も急な登りは遅かった。ゴール前1kmくらいになるとニッポは全く先頭を引かなくなり、江本もニッポマークで後ろに行ってしまった。赤坂はどうしようもなかったね、一人きりで。結局、最後のコーナーを曲がった瞬間に先頭にいた赤坂がアタックして2番手の僕がちぎれて、後ろにもろにニッポの足音が聞こえていたのでスピードも出ないし、どうしようもない状態で先頭を譲った。そうすればニッポの選手は足を使わざるをえないと思ったからね。で、江本がさしてくれれば、と思ったんだけど、半車大差で2位。ニッポは強かったのです。僕は集団の最後尾で5位。課題がたくさん残ったレースでした。
3レースを総合して、セレーノとしては、すでに勝ちにからめるレース展開ができたので収穫は大きかった。今後更に鍛練を重ねれば、いろいろな展開に持っていけるだろうと思った。総合順位は江本が3位、僕が5位、山本が14位でした。
次回は30日の茂木ロードです。去年は江本以外は見事に先頭集団から切れたので、今年は最後まで残れるようにがんばります。
今後もセレーノチームの応援をお願いします。
なお、わからない用語などがあれば連絡ください。
4月26日 Taito Horiuchi