管轄:全日本実業団自転車競技連盟
場所:奈良県下北山、三重県熊野、和歌山県太地
開催日:4月19日、20日、21日
使用機材:インターマックス
使用タイヤ:IRCレッドストーム
補給食:カーボショッツ コーラ味(TCF様よりご提供)
サプリメント:アミノバイタル、ビタミンC
参加選手:管洋介、山本健一
サポートスタッフ:角田浩一、唐沢一良
レポート作成者:管 洋介
今シーズン最初の実業団レースとなる3DAY熊野が三重、和歌山、奈良の三県をまたいで開催した。3DAY熊野は3日間4ステージで繰り広げられる総距離300キロを駆け抜ける厳しいコースで、今シーズンの実業団チームの勢いを確かめる上で重要な試合。本年度は国内最強実業団チームであるシマノレーシング、愛三工業、宮田スバルに加え、海外プロチームであるGIANTレーシングも参戦する19チーム96人でスタートした。今回、管と山本は地域選抜チームとして参戦、毎年完走者が少ないこの大会でどこまで有力実業団に対抗するかが目標である。3日間の総合タイムを競うこの大会は自分の力配分を考えながら走らないと総合成績はおろか完走すら難しくなる。自分の作戦は、第二ステージの山岳レースに備えて、第一ステージは足を使い切らないように走る事にした。この時点で翌日が違う意味で地獄を味わう事は想像もしていなかった。
4月19日の第1ステージは午前中に選手の顔見せとなる個人タイムトライアル。たった3キロであるが、殆ど無酸素運動で走る4分間の辛さは時間以上の苦戦を強いられる。一分おきに一人ずつスタートし、単独走のタイムを競うこの競技は風の流れの変化に大変左右される。自分のスタートは5番目、自分に吹く風が幸運を呼ぶか不幸を呼ぶかは検討もつかないスタートとなった。気持ちでは進みたいが、体がオールアウト寸前の状態を維持しているため自分の脳裏は反対にスピードを落とせと指令してくる。複雑な心境で走らなければならないこの競技は自分を含め殆どの選手が嫌う。結果は4分13秒、全体の40位前後の凡タイムでゴール。優勝はこの競技のスペシャリストである愛三工業の選手。自分より20秒も速い好タイムをたたき出した。
第2ステージは19日の午後から始まる87キロ。平坦で急コーナーが多いこのコースは集団内のポジションの争いが熾烈なものになる。なぜならコーナーを最初に曲がった選手は最後に曲がる選手より200メートル近くリードできる。つまり、後方にいる選手は次々と力尽きて遅れてしまう。自分は常に15番手をキープし、絶対後ろを振り向かない様に走る。選手が通る度に風が巻くほどのスピードで走る展開に100人近い選手は前半で半分に減っている。速すぎて補給食も口に入らない状態であるが、自分も機を見計らって飛び出すことに成功、すぐにシマノの2人、宮田スバルが反応してくる。4キロほどで猛追してくる集団に飲まれる。最後は40人の団子状態でゴール。このステージ26位、総合タイムで38位となった。
4月20日の第3ステージは熊野市をスタートする4回の丘越え、4回の峠を含む113キロ。今大会もっともきついコースである。今日のスタート地点に立てたのは60名程。すでに3分の2の選手が走る権利を失った。自分は得意の山場で総合タイム大幅短縮を狙ってスタートした。前半の峠ではシマノのプロ選手を中心に展開、一気に30人程に選手が減る。自分は持ち堪え、先頭集団で峠を下って再び来る峠で本領発揮を狙った。しかし、下りきった平坦で突然パンク。車輪を交換してもらうも自分の居た集団はかなり小さく見えている。この展開を全く予想していなかった自分はラスト70キロ残して一転、必死で追う羽目になってしまった。先頭から10分遅れるとリタイア宣告されてしまうこのステージで後2時間は単独である。平坦を44キロペース、上りを18キロペースと決めて自分との戦いが始まった。残った峠は3度、気持ちが少しでも緩むと確実に完走は不可能である。一度目の峠を上った時点でタイム差が5分、2度目を超えて7分半、かなり状況は厳しくなっていく。二度目の峠で上を見上げると2人遅れた選手が見えてきた。一人は超ベテラン実業団選手ともう一人は一昨年のチームメイトである。声を掛け合って、3度目の峠に突入。つづら折の頂上から自分の名を呼ぶサポートスタッフの声が聞こえる。どうやらタイムが危ないらしい。まるでゴール直前のように峠を駆け上がり、後20秒でタイムアウトという状況で最後の峠をクリア。ここから20キロの脚切タイムは5分延長されるらしく、ベテラン選手の計算に頼り、絶妙なペース配分で丘を越える。遅れてくる選手を6人程抜かし、最後の平坦は搾り出すように力を使い14分56秒遅れでゴール。後4秒でリタイアであった。完走も35人と少なく自分の総合成績は34位となる。結局途中で抜かした選手は全員リタイア、本当に胸を撫で下ろした。唯一一緒にゴールにたどり着いたベテラン選手にお礼を告げ、次のステージに向かった。
4月21日の第4ステージは和歌山県太地半島の周回コース。1周9.65キロを11周する106キロ。総合成績で34位に着いている自分はテーピングだらけの足に再び喝を入れ、親身に働いてくれるスタッフに必ず完走を誓いスタートする。大雨横殴りの強風が吹くこのステージは選手全員が風を受ける地獄の試合となった。集団はプロが完全支配しており、一周毎にアマ選手が消えていく展開。5分でタイムアウトの為、絶対に遅れられない。一周ごとに次の周で最後と気合を入れ、ラスト2周まで先頭集団で耐え抜く。昨日の走りで限界に達している自分の足はとうとう言うことを利かなくなった。3人のプロ選手とラスト2周を計算しながら無心に走る。雨の辛さももう忘れている。ゴールして初めて完走した実感が湧いた。完走者が更に減って、自分の成績は25位前後にあがった。試合後、自分の粘り走りを成績に関係なく喜んでくれたサポートや知り合いに囲まれて、風呂場で3日間の疲れを洗い流した。
管選手のレースレポート
3DAY熊野 (2002,4,19〜21)